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こどもが絵を描くのは何かの役に立つのですか?
(サラとパグの会話より)

最近、学校の教育について様々な議論がかわされていますが、どうも役に立つか立たないかという二元論で世論が進んでいるように思います。つい先日も中学時代の同級生から「幼児に絵を描くことは何かの役に立つの?」と聞かれて辟易したことがありますが、そもそも教育とは職業訓練校などとは違い、子供たちが人として幸福に充実した人生を送れるように、育て教える場所であるという大前提が忘れられているようです。とはいえ今の世論では役に立たないことや論理性の欠けるあいまいな事柄に対しては、辛辣な扱いをすることが多いですので、今回は幼児が絵を描くことの意味について書いてみたいと思います。


サラとパグの会話より

サラ「パグは今、幼稚園や小学生の子供たちに絵を教えてるんだよね?」

パグ「うん、絵や工作などを造形教室で教えているよ」

サラ「どんなこと教えているの?」

パグ「体験したことを絵に描いたり、お話しを聞いて創造して描いたり、いろんな材料を工夫して家や船をつくったり色々しているよ」

サラ「ふ~ん、図画工作や美術でやったようなことなのかな・・・」

パグ「う~ん、近いんだけど実は全然ちがう部分もあるような」

サラ「どういうこと?」

パグ「うん、大人が記憶している美術って意外と小学校高学年や中学校ぐらいの時のイメージで、幼稚園時代にどんなことしたのか、はっきり思い出せる?」

サラ「う~ん、なんとなく父の日に絵を描いたような、でもあんまりはっきり思い出せないね」

パグ「そうだよね、実は小学校高学年以上の子供たちと幼児が行う絵を描く行為は、同じようで随分違う面も多いと思うんだよ。小学校高学年ぐらいになると自分の行為を社会的に客観的にみれるようになってくるので、うまくつくろうとか、しっかりやろうとか工芸的になってくるんだよ。だからデッサンなんかの技術的な部分もこの時期ぐらいからやりはじめるとスムーズに身に付くと言われているんだ。その一方で作品を見せるのが恥ずかしくなったり、自信を失いやすかったりとデリケートになってくる年頃でもあるよね」

サラ「じゃあ幼児の場合は?」

パグ「うん、それと比べて小学校中学年以下では、絵を描くことやものづくりは、技術的な向上や社会や人に見られる作品づくりを目的としているのではなくて、人の根源的な欲求、表現することを満たし、経験していく行為なんだ」

サラ「かわいい作品をつくることや、物づくりを通して手先などが器用になることが、目的じゃなかったんだ」

パグ「うん、それも二次的な目的ではあるけれど、まず弟一に様々な表現活動の体験をを通して、表現の意欲や喜びを身につけ、豊かな感性を育んでいくことが大事だよね。幼児の間に身につける重要な要素を「表現・ことば・健康・人間関係・環境」と5つの言葉で表した5領域っていうのがあるんだけれども、そこでも重要な要素として表現がでてくるんだよ」

サラ「ふ~ん、国語や算数、美術みたいに分かれていないんだね」

パグ「うん、一般に幼児期は自分の生活を離れて知識や技能を一方的に身に付けていく時期ではなく、生活の中で自分の興味や欲求に基づいた具体的な体験を通して人間形成の基礎となる豊かな心情や、物事に自分からかかわろうとする意欲や、健全な生活を営むために必要な態度などが培われる時期なんだ。

サラ「そうよね、朝早くおきるとか、食事をきちんととるとかの生活習慣は生涯のその人の基盤(宝)になっていくことだし、ことばを介した友達との人間関係、周囲の出来事に関心を抱いて関っていこうとする態度、思いや感情を表現する喜び、どれも人が生きていく上でもっとも大事なことばかりだね」

パグ「うん、幼児期の教育は点数や評価をつけにくいものだけれども、人が生きていくとはどういことかという根源的な問いが常に含まれているよね」

サラ「私、人間関係や生活習慣って自然に身についたものだと思っていたけど、幼稚園や保育園の先生、両親などの影の努力や支えがあったのね」

パグ「うん、特に最近は昔と比べて子供たちの体験する機会や環境が少なくなって来ているから、幼稚園や保育園などの役割は大事になってくるよね」

サラ「子供たちは知らず知らずのうちに、今ある環境の中からいろいろなことを学んでいっているのね」

パグ「うん、そうなんだ。だから上手な絵をかいたり、役に立つものをつくるために工作をするんではなくて、表現する行為や意欲、喜びを育んでいくのが幼児の造形なんだよね」

サラ「あっそういえば、音楽も表現になってくるのかな」

パグ「うん、音楽も5領域のなかで表現というところから考えると随分捉えかたが変わってくるよね。リズムに合わせて身体を動かすリトミックなんかも身体表現として捉えることもできるし、ただ単に一曲を演奏することを大事にするのと、どれだけリズムや音に関っていけるかを大事にするのかで、やっていく内容も随分変わると思うんだけど」

サラ「私、みんなでそろえて太鼓たたくの苦手だったな~」

パグ「運動会なんかの練習でしょ(^0^)でも、みんなで合わせて何かをするもの人間関係の協調性を養っていく上では大事なんだよ」

サラ「あ~、だから私、今でもマイペースなのね」

パグ「太鼓を叩くにしても大昔の祭りのようにリズムを盛り上げて、気持ちの高揚を表現していったり、逆にきっちりリズムを守って協調性を育んだりといろいろなやり方があると思うよ。造形でもいっしょでグループで共同制作をしたり、つくった物を教室に飾って環境にかかわったり、ごっこ遊びのための役に立つキッチン道具をつくったり、運動会の体験を表現したり、お話しを聞いて想像して描いたり、うれしい事、嫌なこと、考えたことを絵に表したり、と5領域を自由に横断して活動していくことができるんだ」

サラ「へ~ひろがりや、つながりがあるんだね。ところで表現っていうことで考えると音楽や身体表現と絵などの造形表現ってどういった違いがあるのかな」

パグ「まずやり方がちがうよね(^0^)色・形・音・身体みたいに」

サラ「それはわかっているわよ!」

パグ「ゴメンゴメン、ちょっと話しが長くなってきたから・・・」

サラ「そうね。でも絵を描いている私は、ここが一番聞きたいところなの」

パグ「そういってくれると、話しがいがあるんだけど。そうだね、絵も音楽もダンスも表現活動なんだけれども、それぞれに特性があると思うんだ」

サラ「たとえば?」

パグ「こどもを見ているとよく分かるんだけれども、音楽聞いてダンスで表現するときは、心が外に向いてエネルギーを発散していってるよね。絵を描く時も3才児ぐらいまでのなぐり描きをしている時は、心が外にエネルギーを向けているんだけれども、

丸○がようやく描けはじめて、それにパパとかママとかの名前をつけたりしはじめると、画用紙の中が突然、その子の心とつながって、おおげさに言うと子供の小さな宇宙感を表しているよに思うんだ。そうなると絵は鏡みたいな役割をして、自身の心を深く見つめなおす働きをもつんだ」

サラ「そういえば、音楽に合わせてダンスをするとストレスを発散して気持ちがすっきりするよね。絵を描いた後は、同じ様に気持ちがすっきりするけど、発散するというよりは心の中を整理して、静かな落ち着いた気持ちになるね」

パグ「うん、内面に意識が働くということが特徴なんだね」

サラ「でも、音楽やダンスでは内面に意識が働かないかな~?」

パグ「ある程度訓練をつめば、音楽やダンスでも自己表現がもちろんできるんだけれども、幼児が作曲したり、身体をつかって何かを表現することは、高度な営みだと思うよ」

サラ「絵だとそれができるということ?」

パグ「うん、絵の場合は簡単な形を描くだけで、何かを表すことができるから、もっとも原初的な表現活動だと思う。そして、これが幼児が絵を描くことの一番の意味、絵を描くことの優位性を表していると思うんだ。それ以外のやり方で、同じ様に内面にむかう力を働かせる方法は、今のところ思い付かないんだよ」

サラ「うん、たしかにそうかもしれないね。ところで内面を見つめる行為っていうのは、ゴッホが自画像を描いているようなストイックな感じなのかな~」

パグ「ううん、全然違うものだよ。大人が自画像を描く時は、哲学的に内面を見つめるけれども、子供たちの見つめ方は、違うんだよ」

サラ「どういうこと?」

パグ「うん、幼児はまだ意識・無意識が渾然一体となっているから、内面と外面の分厚い壁もなく流動的なんだ。だから、大人が絵を描く時みたいにストイックに深く見つめなくても、やすやすと内面に入っていけるんだよね。そして内面の庭を散歩しながら、ここに噴水がある。ここに花が咲いているとか、自分の庭を見つめなおし確認していくような感じなんだよ。そして、表現活動をとおして何回も心の庭を行き来して、豊かな心のお庭を作っていくんだよ」

サラ「なんか、庭師みたい(^0^)」

パグ「そうだね。大人になるにつれて、この外面と内面の壁がしっかり立ち上がってくるんだけれども、幼児期に庭へたくさん行き来し、お手入れをしていた大人は、庭への行き方をおぼえていて、分厚い壁をとおり抜けて、美しし花をとりに庭へ行き来することができるんだよ」

サラ「それが豊かで柔軟性のある感性を育てるっていうことなのね」

パグ「うん、そうなんだ。サラも先生みたいになってきたね」

サラ「(^0^)」



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