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絵画の可能性について 
(サラとパグの会話より

サラ「こんにちは、パグ。今日、現代美術の展覧会に行ってきたんだけど、ほとんどがビデオやギャラリーの部屋を使った空間作品で、絵が少なかったな~」

パグ「へ~、そうなんだ」

サラ「今わたし絵を描いているから、たくさんの絵をみたかったんだけど残念。今のアートは絵や彫刻だけじゃなくて、いろいろあるんだね」

パグ「そうだね。サラはいろいろなジャンルのあるアートからどうして絵を選んだの?」

サラ「う~ん、好きだったからかな。それに今日見てきたような不思議な表現があるって知らなかったし。パグはどうして絵を選んで描いているの?」

パグ「う~ん、僕はじつは最初、絵で表現するのをためらっていたんだ」

サラ「えっそうなの?あんなにたくさん描いているのに」

パグ「うん、絵はこどもの時から好きだったんだけど、大学の時に現代美術の雑誌なんかみてると、なんか新しい空間構成(インスタレーション)やビデオやその他のメディアを使ったメディアアートなんかが格好よくみえて、絵なんて描いているのが古臭いな~ていう雰囲気がしたんだ。それと現代美術の難しくて分かりづらい作品にはうんざりしていたから、いろいろな道具をつかった絵の枠におさまらないインパクトのある作品をつくりたと思っていたんだ」

サラ「いがいとミーハーね」

パグ「ミーハーというより、誰がみてもわかる作品をって思ってたんだけど」

サラ「それがどうして絵を描くことになったの?」

パグ「うん、実は大学の課題が絵を提出しないとダメって決まってたからなんだ(^0^)」

サラ「な~んだ、ポリシーのない・・・」

パグ「いやいや、初めはそれでも絵じゃない作品を提出する~って、がんばってたんだけど、絵の課題をやっていくうちに、自身の作品をより深めるために絵を描くことはとてもいいやり方なんではないかって思い直したんだ」

サラ「ふ~ん」

パグ「たとえば子どもたちが絵を描く時、始めて丸○が描けてそれにパパ、ママとか言って描いたものを認識しはじめたとき、あきらかに他とは違う活動が行われている気がするんだよね」

サラ「どういうこと?」

パグ「こどもの教育領域で「表現」っていうのがあるんだけれども、絵をかいたり(造形)太鼓をたたいたり(音楽)ダンスをしたり(体育)といろいろな表現があるけれども、子どもの気持ちが心の内側にむかう一番の表現は、絵をかく行為だと思うんだよ。太鼓をたたいたり、ダンスはどちらかというと外に発散していく表現だと思うんだよね」

サラ「でも、名曲をきいて感動したり、ダンスで精神性を鍛えることもできるんじゃない?」

パグ「うん、大人はできるんだけど、子供がそこまでいくにはかなりの努力がいると思うんだ。でも丸○や線などの簡単な形で絵を描くことはそんなに難しくないだろ。子どもが自分の思いや体験などを稚拙な方法だけど表現するとき、あきらかに心の内側のなにかを見つけ感じるとることができると思うんだよ」

サラ「自分のなかにある何か不思議な力ね」

パグ「うん、ちょっとオカルトっぽくなってきたけど・・・。それに、この内側に向かう行為は、人がバランスよく生きていくためには、とても大事な行為だと思うんだ。大昔の先史時代の人たちが洞窟で牛や狩の絵を描いているんだけれども、(ラスコーの壁画)暗い洞窟でたいまつの明かりを頼りに絵を描く行為も自身の内面を見つめてそこに何かを探っていく同じような行為だったと思うよ」

サラ「ふ~ん、昔から続いていたんだね」

パグ「それで、絵を描くことを真正面からとらえなおして取り組んでみようと思ったんだ」

サラ「そうなんだ」

パグ「やっていくうちに絵画の特性がわかってきたんだけど、ひとつはさっき話したように人が内面の世界を見つめたり、確認していくのに絵はとっても便利なメディアなんだということ。もともと三次元の現実空間を二次元の抽象性に変換させるから、そこには現実のようで現実でないもの、象徴的なものや想像的なものを表現しやすいんだよ。それに人の脳は、現実世界を理性的に把握する合理的な部分と、矛盾にみちた世界や自身の存在を矛盾もいっしょに全体的に受け入れる部分があって、両方を使うことでバランスよく発達してきたんだって」

サラ「最近の社会は合理的部分だけでうごいているみたいだけどね」

パグ「うん、ちょっと息苦しい感じがするね。昔は、狩りをするお昼は、現実的な脳をつかって合理的に働き、夜は矛盾を取り込んだ心の深い部分をつかって病気や死、闇などの恐怖を受け入れることで、精神的な豊かさを育んでいたんだと思うよ。」

サラ「物質と精神の両方がうまく同居していたのね」

パグ「うん、そうなんだ。現代は合理的な脳ばかりが活躍してるから、たとえば地球の人工増加の問題と経済の少子化問題を同時に解決することができないなど、いろいろな分野で近代主義の行き詰まりを見せているわけなんだけれども」

サラ「さっきパグが言っていた現代美術の行き詰まりもこれと関係があるのかな」

パグ「するどいね!そうなんだ。合理的に考えると現代美術の中で絵画はあらゆる実験が行なわれてきて、もうやることがないっていうところまで来てたんだけど、特に80年代は絵画の死なんてことが真剣に議論されていたり」

サラ「えっそんな時があったの」

パグ「うん、西欧での話しだけど、でもそれも90年代に入って絵画の復権というテーゼのもとに絵を見直す動きが出てきたんだ」

サラ「なんか、パグと一緒でポリシーがないね」

パグ「トホホ・・・ただそれは西欧の現代美術の流れでの話しで、もっと大きく人類にとって絵を描くとはどういう可能性があるんだろうって考えたら、さっき言ったように矛盾を取り込むことができる両義性をもった優れたメディアだと言うことができると思うんだよね。

静止画であるがゆえに、時間軸にとらわれないイメージをつくれるし、人が描くものだから身体性も必ず入ってくる。そして描き手との長い対話や格闘によって、そこに強度のイメージが作られると思うんだ。そして、そのイメージは理想や完璧をあらわしたイデアではなく、矛盾や両義性をはらんだあいまいだが強いイメージを現出することができるメディアだと思うんだ。そう考えると、人にとって絵を描くことは、これからもず~とつづいていく表現活動なんだと思うよ」

サラ「うん、意識と無意識をつなぐ道具だもんね」



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